10.サッポロ一番 塩ラーメンの呪縛

今でこそ塩ラーメンはポピュラーなものとなっていますが、私が子供の頃(昭和50年前後)は、ラーメン屋へ行っても恐らく醤油と味噌しかなかったのではないでしょうか?(曖昧な記憶ですが…)。だから、随分大人になるまでは、塩ラーメンと言えば『サッポロ一番 塩ラーメン』しか知りませんでした。

同じサッポロシリーズでも、食べる頻度では醤油や味噌の方が圧倒的に多く、塩はちょっと冒険的に間にはさむ程度でした。
たま〜に食べる塩ラーメンは醤油や味噌と比べるとあっさり感が強く、子供にはややもの足りないものだったかも知れませんが、トッピングとして入っていた『切り胡麻』のいい香りがなぜか新鮮で印象的でした。…しかし、これがその後の塩ラーメンに対するトラウマになろうとは…。

当然、インスタントと手作りのものとでは、スープの取り方から、合わせる塩まで異なるのでしょうが、全く別素材ではないということも事実です。胡麻に限って言うと、それはどの大差はないようにも思われます。
それゆえに、特に鶏ガラベースのやや混濁したスープで、一面に胡麻が入った塩ラーメンを食べると、なーんかあの味が甦ってしまうのです。確かに美味しいのだけれど、どこかサッポロ一番を思い起こさせる…似ているということは違うってことなのですが、違うのに似ているような…複雑な気分です。
11.コショウはかけていいの?かけたほうがいいの?

これ、率直な疑問です。好みでどうぞと言われてしまえばそれまでですが、以前に、ある雑誌記事を見ていたら、某有名店のご主人は「かけて欲しくない」と語っていました。

確かにコショウをかけることによって風味が増し、ピリッとした刺激が旨さを引き立てるようにも思えます。しかし、ひょっとするとそれによって繊細な部分が失われているかも知れません。(気づく、気づかないという食べる側の個人的な味覚の問題もあるかもしれませんが…)
そうかと思えば、お店によっては最初から一振り加えられている場合なんかもあります。

あまり小さなことにこだわり過ぎてもなんですが、作り手の本音はいかがなのでしょうか?
12.二回目が勝負

パターン@ 「これは旨い!」という味に出会っても、次に行ったときに「あれ?そうでもないな」と思うことがある…
パターンA 初めてのときは「まあまあ…」と感じたのに、2回目のときは「あ、旨い!」と思えてしまうことがある…
パターンAの場合から考えて見ますと…、まず、あるラーメンとの最初の出会いでは、自分の期待しているイメージにどれだけ合致するか?という難しさがあると思います。
極端なことを言えば、何かの間違いで豚骨ラーメンを注文していたのに醤油ラーメンを食べなければならないはめになったとき、例えその醤油ラーメンが実はかなり美味しいものであったとしても、もう胃のスイッチが豚骨ラーメンになっていたわけですから、そのギャップ分は少なからず味にマイナスに作用するでしょう。
つまり、自分のイメージに近いものか、いい意味でその延長線上にある味でないとどうしても素直に感じとれない部分が生じてしまいます。
ところが二回目の時は一度学習済みの味なので舌に記憶があり、味わうための下準備ができています。おそらく初回には気づけなかったそのラーメンの良さを素直に受け入れられるのではないでしょうか。「付き合ってみると結構イイ奴だった」みたいなことかも知れません。

では、パターン@の場合。きっと運の良いことに最初からイメージ通り、もしくはそれ以上の味だったのでしょう。ところが2回目は↓…となるわけですが、この結末に至るには二つ理由が考えられます。
まず、ひとつはラーメンそのものに味のバラつきがある場合でしょう。
厳密な意味ではインスタントでない限り、生きた素材相手のものですから、毎日同じスープを作ることは不可能でしょう。でも、その差をいかに最小限にとどめるか、あるいは進化させるかがプロの腕の見せどころかも知れませんね。
もう一つは、一回目と二回目の間に個人の味覚のレベルが上がった場合です。
同じ系統の味をいくつか食べ歩いていれば当然経験値は上がります。いわゆる味にうるさくなったと言うやつでしょうか?グルメになったのかも知れません。ひょっとすると「飽きる」なんてこともありえます。
以上に述べた他にも、体調差、空腹の程度、店の雰囲気、一人で食べたか仲間と食べたか、直前に口にしたものの影響…等々が要因として考えられますが、ま、キリがないのでこのへんで終わります。
あ!で、結局私が言いたいのは、明らかに不味い場合などは除いてですが、ある一つのラーメンの味の評価を下すのであれば、せめて二回くらいは食べてあげてからの方がいいんじゃないのかなー?…ってことです。もちろん初回も二回目も旨ければ文句なし!…かな?
13.ハシゴ腹

仕事あり、家庭ありという生活の中で、ラーメンを食べる機会はそうそう得られるものではありません。
当然、ラーメンは「おやつ」ではないので、ラーメンを食べるということは、3食のうちいずれか、または全部をこれに置き換える訳です。
しかし、朝昼晩とラーメンを食べるのは至難の技。よく頑張って昼と晩のせいぜい2食でしょうか。
それでも食べてみたいラーメン、食べに行きたいラーメンは数知れずあります。少ないチャンスを最大限生かして、できるだけたくさんの種類のラーメンを食べる方法はないか?、……ハシゴしかありません。…それしかありません。だって一度のチャンスで2倍も味わえるんですから!
振り返ると小食の私は、長い人生の中でつい昨年までハシゴなんて一度もしたことがありませんでした。何が私をこんなふうに変えてしまったのでしょうか…。
当初は2軒目を食べ終わる頃には腹十二分目でアップアップの状態だったのですが、そんな後悔を何回か繰り返していると、人間の体とは不思議なもので多少は慣れてくるものなのです。最近ではペース配分も会得し立派なハシゴ腹へと進化しつつあります。(体調の良い時に限りますが)

ところで、ハシゴの2軒目ってのは不利ですよね。半満腹状態で臨むわけですから、よほど美味しいものでないと心に響きません。でも逆に2軒目でも美味しく感じられた時は喜びもひとしおです。そんなラーメンに出会ってしまうと、またハシゴをして少しでも多くのラーメンを食べなくては…と思ってしまうのです。
14.食券機の是非

最近は食券機を設置してあるお店も増えました。これに関しては賛否両論あると思われますが、私なりに考えてみました。


◇良い点
 ・何といっても店員さんがお金を直接手で触らないので衛生的
 ・店員さんがちょっと楽
 ・手間が掛からないぶん作りに集中してもらえる
 ・おつりの間違いがない
 ・オーダーの聞き間違いがない
 ・食い逃げがない

 ・小銭が整理できる

◇良くない点
 ・何となく疎外感
 ・初めて行った店で気づかずに先に座っちゃったりすると、店員さんに指摘されて恥ずかしい
 ・メニューが一望しづらいのでイメージが湧かず、選びにくい
 ・混雑時、背後に人に立たれるとプレッシャーでゆっくり検討できない
 ・前の人がモタモタしているとイライラする
 ・機械ごときの判断で入れた千円札が戻されるとイライラする
 ・「つり銭レバー」をひねってからのレスポンスが遅いとイライラする
 ・ボタンを押し間違えた時、「あっ!…ま、いいかぁ…」となってしまうことがある
 ・食べ終わって帰る際に気づいてもらえないと寂しい


…とまあこんな感じです。で、結局、賛成or反対どちらなのかというと…店側のメリットの方が大きい感もありますが、その分ラーメンを一生懸命作り、かつ、よりいっそうの気遣いをしていただけるのなら…賛成です。
15.「スープが麺に絡む」に絡む

しばしば「スープが麺によく絡んで美味しい!」などと表現されますが、「スープが麺に絡む」ことは旨いラーメンの条件としては、それほど重要なことではないような気がします。(あ、もちろん、コメントした方もそこまで言っているというわけではありませんが…)
確かに、啜るときの軽快さや味わい、一体感みたいなものもあるかも知れませんが、実際のところそれほどの差は感じません。

「絡む」ということは、スープ側からみれば、粘調性につきます。粘調性が強ければ絡み具合がよくなります。例えば「あんかけ」のように。
一方、麺の側からすれば、縮れ具合、もしくは麺の表面の凹凸加減でしょう。縮れ具合が強ければ表面張力によりスープの乗っかりがよくなるでしょう。表面の凹凸が大きい場合も同様です。

…結局のところ、ただそれだけのことではないでしょうか?
絡み具合に物足りなさを感じるのであればレンゲを用いてスープを掬って飲めば済みます。

絡みの良し悪しよりも麺とスープとの相性の方が大切なわけで、そこの部分を抜きにして、とりあえず的に「よく絡んで美味しい」などとコメントされると、ついつい絡みたくなってしまいます
16.「ラーメン王」について思うこと (その1)

TV東京系列の番組「TVチャンピオン」で見事優勝を成し遂げた『ラーメン王』と呼ばれる方々がみえます。彼らは年間1000食以上のラーメンを食べているそうです。例えると月曜〜土曜までは3食すべて+日曜は1食というペースでラーメンを食べているようなものです。また、3食と言っても朝から営業しているお店はそうはないので、結局昼か夜にハシゴをせざるをえないでしょう。…それにしても凄いペースです。

で、ふと疑問に感じたのですが、『ラーメンを食べた』とカウントする基準というか、最低ラインはどこにあるのでしょうか?例えば仲間内4人で食べに行って各人が異なった種類のラーメンを注文して、ちょっとずつ分け合った場合、これを4種類食べたとカウントするのでしょうか?例えば最初からハシゴを目的として意図的に一口二口でセーブして店を出た場合、やはり「食べた」とカウントするのでしょうか?

思うに、よほど不味い場合を除いては麺と具のほとんどを食べ、スープのせめて1/3くらいを飲んで→はじめて「1杯」とカウントするのが妥当なところではないでしょうか?確かに一口食べただけでもある程度のことは分かりますが、満足度とか飽きとか食べ進んでこそ見えてくるのものあるはずです。

残念ながら、ラーメン王の方々にお会いして話を聞いたわけではないので、実際のところは全くわかりませんが、もし本当に完食に近いかたちで年間1000食を食べ続けておられるのであれば、畏敬の念をもって賞賛したく存じます。その執念たるやとても真似のできることではありません。
まさしく『ラーメン王』です。
17.「ラーメン王」について思うこと (その2)

世の中に注目される、ラーメン王たるものは人々の良い模範になるべきだと思います。…というのはちょっと言いすぎなので訂正→せめて悪い模範にならないよう気をつけなければなりません。

しかし、「いつもラーメンを食べている」という行為はそうでない人達からすれば、受け入れ難い面があるのも事実です。
私の場合ですら、たかが1日1食のペースで食べているでけなのに、タバコを吸いまくる友人から「ラーメンばっかりでー、お前身体壊すぞ!」と言われる始末です。
そう、世の中の多くの人々の脳の片隅には、ラーメン=不健康食みたいな考えがあるようです。(正確には、ラーメンそのものが悪いというのではなく、ラーメンばかりを食べることにより栄養が偏ることが不健康だと感じているのでしょうけど…)

いずれにしても、ラーメン王は「ラーメンばかり食べている人」の代表的存在には違いありません。
そこで、お願いです!→絶対に変な病気で倒れないで下さい!
胃腸の癌、高血圧症、高コレステロール血症、肥満症、糖尿病、痛風、他…これらを総称して「生活習慣病」というそうですが、我々ラーメン喰いの代表がこんなのになってしまった日には、周囲の人間から「それみたことか!」と言われかねません。
皮肉にもラーメンを愛している方の生き様によって、ラーメンが悪者にされてしまうのです。(本当は個人の生活習慣が問題であり、ラーメンに罪はないのですが…)

だから…、頼みますよ、ラーメン王!!(病気になったら絶対に世間には見つからないでっ!)

ちなみに、我がホームページのブレインの一人であるDr.Y氏によりますと、「生活習慣病」というものは、ラー食歴数年ではその兆しすら出ないのが当たり前で、実は潜在的に進行しているんだそうです。そして答えは10年後20年後に確実にでるだろうとのことです。…マジで心配になってきました。

独り言(目次)へ      トップページへ